April 22, 2012
ラヴェルは語る -リスト作品の欠陥-
モーリス・ラヴェルのリスト作品についてのコメントです。
"これらのリストの小品、あるいは全作品についてまわる欠陥が私たちに何の関係があると言うのだ。後の世代の多くの著名な作曲家がそこから何かを汲み取った、無限に広がる壮麗なカオスの中にある沸き立つような楽想で十分ではないのか。ワーグナーのあたかも熱弁を振るうかのような情熱、シュトラウスの奔放な熱狂、フランクの展開に伴うその重量感、ロシア楽派の色彩豊かな輝き、現フランス楽派のハーモニーの優美さによる筆舌に尽くしがたい色気は、まさにそのリストの欠陥に多くを負っているのである。そしてそれら互いにまったく異なる作風の作曲家たちの最も素晴らしい性質が、この偉大なる先駆者による異常とも言える音楽の巨大さに何も負っていないとでも言うのか。時にぎこちなく、常に膨張するようなその形式の中に、典雅に流れる天才的な展開を見せるサン=サーンスの核を見出すことはできないのか。この激しく、そして時に曖昧な響きに満たされた輝かしいオーケストラの書法が、リストのライバルとして知られた者たちに著しい影響を与えたわけではないとでも言うのか"
モーリス・ラヴェル
引用元:
Revue Musicale de la S.I.M ,15 Februar 1912
交響詩「理想」についての語りの中で
この言葉を読んでまず最初に思うことは「語気の強さ」です。1912年の文章ということで、まだリストの評価が低かった時代です。その「リストへの誤解」や「リストへの低評価」という前提があるからこそ、それに対する反論としてこのような強い語気の文章になったのだと思います。
リストは様々な要因から大いなる誤解を受けていて、そのことは確かに不幸ですが、このようにラヴェルやバルトーク、ブゾーニなどの力強い弁護者がいたのは幸いでした。しかしリストを当時批判していた批評家や聴衆を責めることもできないと思います。なぜならリスト自身のスケールの大きさは異常であり、研究が進んでいる現代においても全貌が明らかになったとは言いづらい状況です。リストは常に未来を向いていて、特に後期作品においては作曲技法も先進的であり、理解され始めたのは20世紀の後半からです。これから更にリストへの誤解が解かれていくことを期待しています。
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この記事へのコメント
「語気の強さ」も、よく伝わってきます。リストがあまりに偉大すぎるがゆえに、誤解や低評価を招いていた事による、ラヴェルの反論というのも頷けます。後世の才能ある、シェーンベルクやバルトーク、そしてラヴェルのような音楽家がこのようにリストを弁護している事で、少しずつリストとその作品についての理解が進んできているのでしょうね。
このような貴重な文章を訳して、紹介して下さるのも、とてもありがたいです!私にはこのような難しい文章は、永遠に訳せそうもありませんし。。。
さらにまだ全貌が明らかになっているとは言えない、リストとその作品への理解がこれから進んでいくことを、私も期待します。
オラトリオ「キリスト」という作品もCDを聴いて、大きく感動に包まれたのですが、作品が偉大すぎて、まだまだ漠然としか把握しきれていません。私自身ももっとリストの作品を理解出来るようになりたいです。
僕はフランス語はボンジュール、サヴァ、ジュマペル~くらいしかわかりません(笑)
原文のフランス語ではなくArbie Orensteinという人の書いたラヴェルの伝記にドイツ語で載っていたものを訳しました。
ラヴェルがリストを高く評価していたというのは面白いですね。ラヴェルは計算され尽くしたかのような精緻な作風だったけれど、リストは大らかな作風。リストは多作家、ラヴェルは寡作家と正反対でした。正反対だからラヴェルはリストに魅かれたのかもしれませんね。