May 12, 2013
Harmonies poetiques et religieuses (early versions)
アルベルト・ブルセー
Harmonies poetiques et religieuses (early versions)

詩的で宗教的な調べ 〔初期稿〕
1. 詩的で宗教的な調べ S.154
2. 眠りから覚めた御子への讃歌 〔第1稿〕 S.171c
3. 前奏曲 S.171d/1
4. 倦怠 S.171d/2
5. 皇太子L.F.の音楽に S.171d/3
6. 最後の幻影 S.171d/4-5
7. 心せよ S.171d/6
8. M.K. S.171d/8
9. マリアの連梼 〔第1稿〕 S.171e
AB I-04
Recorded: 2000
〔メモ〕
曲集「詩的で宗教的な調べ」といえば、最終稿のS.173とその前身である1847年稿の172aが知られているが、ここでのブルセーはそれより以前の「詩的で宗教的な調べ」の初期の構想を、自身の見識に基づいて再現したもの。トラック〔4〕から〔8〕まで世界初録音と思われる。 〔1〕「詩的で宗教的な調べ」というタイトルで言及された初めての作品で、「死者の追憶」の初稿。1834年作曲。ラマルティーヌの詩集「詩的で宗教的な調べ」に触発されて作ったもので、ラマルティーヌへ献呈している。 〔2〕「眠りから覚めた御子への讃歌 S.173/6」の初稿。最も初期の構想では「6曲の詩的で宗教的な調べを作る」とリスト本人はマリー・ダグーへの手紙の中で言及している。その6曲とはどの曲を指しているかはわからないが、トラック〔1〕のS.154と当トラックS.171cは含まれていると思われる。ゲーテ=シラー・アルヒーフに所蔵されている自筆譜に「フォンテーヌブロー - 10月8日」と書いてある。この時点でリストが付けたタイトルは「眠りから覚めた御子への祈り」(ちなみにハワードはこちらを採用している)。 〔3〕「孤独の中の神の祝福 S.173/3」の初稿。上で述べたように最初期の構想でリストは「6曲」を作る予定だったが、その数年後のマリー・ダグーへの手紙では「200ページほどの曲集となる」と本人は言及している。この「200ページほどの曲集」に含めようと書いた作品群が当ディスクのトラック〔3〕から〔8〕であり、これらはワイマールのゲーテ=シラー・アルヒーフにて「スケッチブックN5」と呼ばれる自筆譜に収録されている。 〔4〕ブルセーによると、テオドール・ケルナーの詩「プロイセン皇太子ルイ・フェルディナントの音楽に」に触発されて書かれた作品。1845年に着手。 〔5〕同じくケルナーの詩に触発されたもの。リストの作品「ルイ・フェルディナントの動機によるエレジー S.168」とは別の曲だが、ブルセーは「漂う雰囲気は似ている」と指摘している。 〔6〕後に「バラード 第1番 S.170」などに旋律が転用される作品。「écrit pour Marie(マリーのために書いた)」と書かれているが、これはもちろんマリー・ダグーのこと。ハワードはこの「最後の幻影」の次に書かれている譜面を別の曲としたが、ブルセーはその譜面も「最後の幻影」の続きと判断し1つの曲として演奏している。 〔7〕タイトル「Attente」は聖書の中のパウロの手紙などによく出てくる単語で、「心を構えよ」という意味。終結部が欠落しているためブルセーが補筆した。 〔8〕「M.K.」とはリストやショパンの友人であったマリア・カレルギスのこと。譜面は不完全な形だったのでブルセーが編集して演奏できる状態にした。 〔9〕上記トラック〔3〕~〔8〕は同じ曲集へ含めようと意図されて書かれたものである可能性が高いが、この1846年に書かれた「マリアの連梼」の初稿はリストがそこへ含めようと思ったかどうかはわからない。しかし1847年の11曲の曲集「詩的で宗教的な調べ S.172a」には「マリアの連梼」の改訂稿が収録されているため、この初稿もその前身となる曲集へ含める意図があったかもしれない。自筆譜はワイマールのゲーテ=シラー・アルヒーフに所蔵(ただしスケッチブックN5にではない)。
関連記事: Harmonies poetiques et religieuses (1847 version)
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詩的で宗教的な調べ 〔初期稿〕
1. 詩的で宗教的な調べ S.154
2. 眠りから覚めた御子への讃歌 〔第1稿〕 S.171c
3. 前奏曲 S.171d/1
4. 倦怠 S.171d/2
5. 皇太子L.F.の音楽に S.171d/3
6. 最後の幻影 S.171d/4-5
7. 心せよ S.171d/6
8. M.K. S.171d/8
9. マリアの連梼 〔第1稿〕 S.171e
AB I-04
Recorded: 2000
〔メモ〕
曲集「詩的で宗教的な調べ」といえば、最終稿のS.173とその前身である1847年稿の172aが知られているが、ここでのブルセーはそれより以前の「詩的で宗教的な調べ」の初期の構想を、自身の見識に基づいて再現したもの。トラック〔4〕から〔8〕まで世界初録音と思われる。 〔1〕「詩的で宗教的な調べ」というタイトルで言及された初めての作品で、「死者の追憶」の初稿。1834年作曲。ラマルティーヌの詩集「詩的で宗教的な調べ」に触発されて作ったもので、ラマルティーヌへ献呈している。 〔2〕「眠りから覚めた御子への讃歌 S.173/6」の初稿。最も初期の構想では「6曲の詩的で宗教的な調べを作る」とリスト本人はマリー・ダグーへの手紙の中で言及している。その6曲とはどの曲を指しているかはわからないが、トラック〔1〕のS.154と当トラックS.171cは含まれていると思われる。ゲーテ=シラー・アルヒーフに所蔵されている自筆譜に「フォンテーヌブロー - 10月8日」と書いてある。この時点でリストが付けたタイトルは「眠りから覚めた御子への祈り」(ちなみにハワードはこちらを採用している)。 〔3〕「孤独の中の神の祝福 S.173/3」の初稿。上で述べたように最初期の構想でリストは「6曲」を作る予定だったが、その数年後のマリー・ダグーへの手紙では「200ページほどの曲集となる」と本人は言及している。この「200ページほどの曲集」に含めようと書いた作品群が当ディスクのトラック〔3〕から〔8〕であり、これらはワイマールのゲーテ=シラー・アルヒーフにて「スケッチブックN5」と呼ばれる自筆譜に収録されている。 〔4〕ブルセーによると、テオドール・ケルナーの詩「プロイセン皇太子ルイ・フェルディナントの音楽に」に触発されて書かれた作品。1845年に着手。 〔5〕同じくケルナーの詩に触発されたもの。リストの作品「ルイ・フェルディナントの動機によるエレジー S.168」とは別の曲だが、ブルセーは「漂う雰囲気は似ている」と指摘している。 〔6〕後に「バラード 第1番 S.170」などに旋律が転用される作品。「écrit pour Marie(マリーのために書いた)」と書かれているが、これはもちろんマリー・ダグーのこと。ハワードはこの「最後の幻影」の次に書かれている譜面を別の曲としたが、ブルセーはその譜面も「最後の幻影」の続きと判断し1つの曲として演奏している。 〔7〕タイトル「Attente」は聖書の中のパウロの手紙などによく出てくる単語で、「心を構えよ」という意味。終結部が欠落しているためブルセーが補筆した。 〔8〕「M.K.」とはリストやショパンの友人であったマリア・カレルギスのこと。譜面は不完全な形だったのでブルセーが編集して演奏できる状態にした。 〔9〕上記トラック〔3〕~〔8〕は同じ曲集へ含めようと意図されて書かれたものである可能性が高いが、この1846年に書かれた「マリアの連梼」の初稿はリストがそこへ含めようと思ったかどうかはわからない。しかし1847年の11曲の曲集「詩的で宗教的な調べ S.172a」には「マリアの連梼」の改訂稿が収録されているため、この初稿もその前身となる曲集へ含める意図があったかもしれない。自筆譜はワイマールのゲーテ=シラー・アルヒーフに所蔵(ただしスケッチブックN5にではない)。
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