アニー・フィッシャー
December 13, 2011
Dohnányi, Bartók, A.Fischer, Kentner, Cziffra play Liszt
エルンスト・フォン・ドホナーニ
ベーラ・バルトーク
アニー・フィッシャー
ルイス・ケントナー
ジョルジュ・シフラ
Dohnányi, Bartók, A.Fischer, Kentner, Cziffra play Liszt
1. コンソレーション 第3番 S.172/3 <56>*
2. スルスム・コルダ S.163/7 <36>"
3. ピアノソナタ S.178 <53>#
4. 森のざわめき S.145/1 <66>$
5. 小人の踊り S.145/2 <66>$
6. ラ・カンパネラ S.141/3 <66>$
7. 半音階的大ギャロップ S.219 <55>!
8. エステ荘の噴水 S.163/4 <55>!
9. ハンガリー狂詩曲 第6番 S.244/6 <56>!
10. 忘れられたワルツ 第1番 S.215/1 <55>!
11. ハンガリー狂詩曲 第15番 - ラーコーツィ行進曲 S.244/15 <56>!
*エルンスト・フォン・ドホナーニ
"ベーラ・バルトーク
#アニー・フィッシャー
$ルイス・ケントナー
!ジョルジュ・シフラ
HUNGAROTON CLASSIC HCD 32704
〔メモ〕
ハンガリーを代表するレーベルといってもよいフンガロトンがフランツ・リスト生誕200年を記念するかのように発売したディスクです。ハンガリー・リスト楽派を俯瞰するようなコンピレーションです。
・エルンスト・フォン・ドホナーニ (ハンガリー名:エルネー・ドホナーニ)
ダルベール、トマーンの弟子であるドホナーニは、彼がコンサートピアニストとして活躍していた当時「現代最高のピアニスト」という評価を得ました。トマーンは「私が最も誇りとしていることのひとつは、偉大な音楽家であるフランツ・リストを我が師としていたことである。そしてそれと同等に誇りとしていることとして、偉大な音楽家ドホナーニを我が弟子としていたことがある」と語っています。
フランツ・リスト→イシュトヴァーン・トマーン→エルンスト・フォン・ドホナーニ
フランツ・リスト→オイゲン・ダルベール→エルンスト・フォン・ドホナーニ
・ベーラ・バルトーク
イシュトヴァーン・トマーンの弟子であるバルトークは「第2のドホナーニ」という評価を得ていたこともあります。リストに関する講義を行ったり、コンサートで多くのリスト作品を取り上げたバルトークは、(ブゾーニとともに)20世紀のリスト再評価の立役者です。デヴィッド・デュバルによるとスルスム・コルダはバルトークお気に入りの曲とのこと。
フランツ・リスト→イシュトヴァーン・トマーン→ベーラ・バルトーク
・アニー・フィッシャー
ドホナーニとアルノルド・セーケイの弟子のアニー・フィッシャーは、ドホナーニが組織したブダペストの第1回リストコンクールの覇者です。ドホナーニやバルトークの次の世代のハンガリーピアニストを代表するひとりです。ここでのロ短調ソナタはベートーヴェン作品のように響きます。
フランツ・リスト→イシュトヴァーン・トマーン→エルンスト・フォン・ドホナーニ→アニー・フィッシャー
フランツ・リスト→イシュトヴァーン・トマーン→アルノルド・セーケイ→アニー・フィッシャー
・ルイス・ケントナー (ハンガリー名:ラヨシュ・ケントネル)
アルノルド・セーケイの弟子で、バルトークとリスト作品のスペシャリストで、イギリス・リスト協会の会長だったケントナーです。アニー・フィッシャーが優勝したリストコンクールで第3位に入賞しています。ちなみに彼の最初の妻であるイロナ・カボシュもハンガリー・リスト楽派の重要人物です。彼女はピーター・フランクル、ハワード・シェリー、ジョン・オグドン、クン・ウー・パイクなどを教えたこともあります。
フランツ・リスト→イシュトヴァーン・トマーン→アルノルド・セーケイ→ルイス・ケントナー
・ジョルジュ・シフラ (ハンガリー名:ジェルジ・シフラ)
ドホナーニやジェルジ・フェレンチの弟子シフラです。「リストの再来」と言われたこともあります(ただし「リストの再来」という謳い文句は頻繁に使われる。例:リヒテル、ミケランジェリ、ホロヴィッツ、ベルマンなど)。シフラについてはいまさら説明は必要ないでしょう。
フランツ・リスト→イシュトヴァーン・トマーン→エルンスト・フォン・ドホナーニ→ジョルジュ・シフラ
フランツ・リスト→イシュトヴァーン・トマーン→ジェルジ・フェレンチ→ジョルジュ・シフラ
・イシュトヴァーン・トマーン
録音はありませんが、このディスクの影の主役はトマーンです。ロシアにリストのピアニズムを伝播したのはジロティです。いわばジロティはロシアにおける「リストのピアニズムの伝道者」だったわけですが、ハンガリーにおけるその役目を果たしたのはトマーンに他なりません。
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August 28, 2010
リストコンクール
世界3大ピアノコンクールと言えばショパンコンクール、チャイコフスキーコンクール、エリザベートコンクールのことを指します。そのほかリーズコンクール、ロン=ティボーコンクールやクライバーンコンクールも有名ですね。一方リストコンクールは影が薄くあまり盛り上がっているような感じがしません。ショパンコンクールとリストコンクールを比べてみるといろいろなことが見えてきます。
・開催された理由
ショパンコンクールが開催された理由というのは「ショパンの作品をより深く理解してもらうため」だったそうです。課題曲はコンクールとしては異例の一作曲家の作品のみで構成されています。言わば「ショパンのため」のコンクールです。一方リストコンクールはブダペスト国際音楽コンクールの一部門として開催されました。僕はリストコンクールがどのような理由で開催されたかは知りませんが、「リストのため」に開催されたとは思えません。なぜならブダペスト国際音楽コンクールのピアノ部門は名前がリストコンクールになったり、リスト=バルトークコンクールになったりしています。
・課題曲
ショパンコンクール最大の特色は上でも述べましたが、課題曲がショパンの作品のみということです。リストコンクールの課題曲は通常のピアノコンクール同様にいろいろな作曲家のものが含まれていますが、もし課題曲がリストの作品のみならかなり面白いコンクールになっていたでしょう。コンクールのすべての課題曲を一作曲家でまかなえるとしたら、それはショパン以外だとリストしかいないと思います。
・注目度の分散
ショパンコンクールは世界にいくつかありますが、ショパンコンクールと聞いたら、ワルシャワで5年ごとに行われるアレと誰もが思い浮かべるでしょう。しかしリストコンクールと聞いてもおそらくピンとこない人が多いのではないでしょうか。というのもリストコンクールも世界にいくつかあり、とくにユトレヒトで行われているものは近年規模が大きくなりつつあります。しかもなんとユトレヒトの方は課題曲がリストのみです。ブダペストの影がますます薄くなる。ちなみにオグドンも「リストコンクール優勝者」と紹介される時がありますが、彼はロンドンのリストコンクールの優勝者です。
・入賞者
ショパンコンクールはアルゲリッチ、ポリーニ、ツィマーマンなどの現代を代表するピアニストを多く輩出しました。ブダペストリストコンクールも第1回の優勝者がアニー・フィッシャーという大ピアニストですが、その後は特に目立った優勝者がいません。(2位以下の入賞者だとディノ・チアーニやラザール・ベルマンがいます)
・スキャンダル
スキャンダルなんて起こそうと思って起きるものでもないので、これは仕方がないですが、スキャンダルの一つでも起きれば注目度も高まるのではないでしょうか(笑)。例えばショパンコンクールではアシュケナージの2位を不服とし審査辞退したミケランジェリやポゴレリチの予選落ちに抗議して帰ってしまうアルゲリッチの事件などがありました。チャイコフスキーコンクールではソヴィエトの威信をかけたコンクール第1回目でアメリカの無名の青年(クライバーン)に優勝されてしまいます。しかも冷戦下のさなかに。さらに第2回では自国の優勝者を出そうと政府自らが動き、脅迫まがいの事をしてアシュケナージに参加させたにもかかわらず、同時に参加していたジョン・オグドンの演奏があまりにも凄すぎて第1位を二人にしなければならなくなりました。
リストコンクールを「リストのために」「ブダペストで」「定期的に」「それなりの規模で」「毎回名前を変えず」「課題曲リスト作品のみで」「音楽コンクールの一部門としてではなく独立して」やっていたら、リストコンクールはもっと成功していたのではないかなと妄想してしまいます。
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