チャイコフスキーコンクール

January 17, 2006

アシュケナージ脅迫

冷戦下でソヴィエトの威信をかけた第1回チャイコフスキーコンクールをクライバーンという無名のアメリカ人の取られてしまい、ソヴィエト政府は「次こそは」と躍起になっていたそうです。そこで政府が目を付けたのが、ショパンコンクール2位、エリザベートコンクール優勝のアシュケナージです。しかしアシュケナージは乗り気ではなく、半ば脅迫めいた要請を受けることになります。

“「参加要請を受けぬ限り、君の将来のキャリアを保証しない。国外だけでなく、ソヴィエト国内でも。」と私は正式な通告を受けた。これが当局から脅迫を受けた初めての体験だった。”

後年アシュケナージはさらにこのようにも言ってます。

“ロシアは嘘で満たされた国です。その地で育てられた人間は、「自分が何が好きで、何が嫌いか」すらわからないほどに洗脳されてしまう。”

旧ソヴィエトのこの様な行為は決して許されるべきものではありません。まさに音楽家たちにとって苦難の時代だったことでしょう。しかしその一方で、政府による徹底された音楽家の教育システムにより、優れた演奏家を多数輩出したという事実は皮肉なものです。


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January 10, 2006

中村紘子は語る ―ホロヴィッツ―

中村紘子著の「チャイコフスキーコンクール」という本を読みましたが、非常に興味深い記述があるので、引用します。ピアニストの理想の典型がホロヴィッツとリヒテルに代表される、と言った後に

“審査員たちが、思わず冗談半分にぼやく言葉がある。「こんなに厳しい審査では、仮にホロヴィッツが受けたとしても、とうてい受かりっこないだろうね。」
          ~中略~
ところがそうぼやく彼らが、ではピアニストの中でいったい誰を一番尊敬しているかといえば、異口同音に、「ホロヴィッツ」という答えが返ってくるのだ。”

チャイコフスキーコンクール (中公文庫)
中村紘子著
56p

ここから読み取れるのは「ホロヴィッツが絶対的な存在であること」と「コンクールというモノのジレンマ」だと思います。審査員が尊敬するホロヴィッツですら通過できない程、厳しくメカニックをチェックするなら、「第二のホロヴィッツ」はコンクールから誕生しないことになります。しかしコンクール出身の大ピアニストが少なくないという事も事実です。アルゲリッチ、ポリーニ、ツィマーマンやプレトニョフが代表でしょう。そしてさらに興味深いのは、今挙げたピアニストに続く世代の代表格がキーシン、アンスネスというコンクールを経験せずに名を挙げた人が多くいることです。一見現在のコンクールの権威が揺らいできているようにも見えます。
ユンディ・リがショパンコンクールで名をあげて、ラン・ランがコンサート活動で名をあげたという事実も対照的で面白いですね。


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