バルトーク
March 27, 2016
アンスネスは語る -リスト録音-
ネットラジオでピアニストのアンスネスがリストの録音について語っていました。簡単にまとめてみたいと思います。
● リスト録音との出会い
「記憶が曖昧だけど、たぶんマルタ・アルゲリッチの演奏するピアノ協奏曲やソナタだったと思う。子供の頃に僕は愛の夢やコンソレーションは演奏していたけど、こんな曲を演奏するなんて不可能だと思ったよ。印象的で色彩感に溢れ、3人のピアニストが演奏してるのかと思った」
● リパッティのペトラルカのソネット104番
「これまでに存在した最も偉大なピアニストの一人。最も大きな影響を受けた。ピアニスティックに完璧で洗練性の極致で比類がない。流れが自然で自発性に富んでいる」
● カペルのハンガリー狂詩曲11番
「燃え盛るような情熱があり、確信に満ちている。このような曲はノンシャランにお行儀よく演奏されることが多いけど、カペルはリスクを恐れずにドラマを創出してる」
● ファウスト交響曲について
「信じられないくらい先進性がある。友人のアントニオ・パッパーノも興奮気味に言っていたが、チャイコフスキーへ大きな影響を与え、そして12音技法のように書かれた部分もある。とても野心的でワーグナーがこの曲を気に入ったのも不思議ではない」(バーンスタインのファウスト交響曲が流れますがこれはアンスネスではなくDJのトム・ハイゼンガが録音を選びました)
● ユジャ・ワンのロ短調ソナタ
「フレッシュでラプソディック。無限の可能性を感じる」
● アムランのハンガリー狂詩曲2番
「彼は作曲家的な視点も持ち合わせていてカデンツァを作曲している。そこでは聴いたこともないような豪華絢爛な技巧が繰り広げられる。ヴィルトゥオジティというものは楽しくてエキサイティングなものだね」
● 自身の演奏するノネンヴェルトについて
「この曲は自然的、瞑想的であり情景を感じることができる。巡礼の年のような作品もそうだが、聴衆に映像や匂いを感じさせることができる」
● ゲザ・アンダの森のざわめき
「アンダはお気に入りのピアニストですが、過小評価されてます。この演奏はサプライズに満ちていて、自発的で推進力がある。こういうサプライズは普通計算されてなされるものだけど、彼の演奏は計算がなく自然」
● バルトークのスルスム・コルダ
「これは録音も悪く、ミスタッチもありますが興味深いので選びました。この曲は通常静的に演奏されることが多いですが、彼の演奏は内的エクスタシーと幸福感が感じられます」
〔感想〕
アンスネスは現在、世界の第一線で活躍しているピアニストですが、そのようなピアニストでも新旧問わずいろいろな録音を聴いているんですね。やはりリパッティのペトラルカは名演ですね!ものすごい興味深い会話でした。途中でリストのことについても語っていました。「リストはある意味で底の浅いポップスターでいることもありました。ピアニスティックな観点から言えば見事な曲でも、底の浅い曲もいくつかあります。彼は聴衆を目の前にしてどのように成功するかを計算していた部分もあります。そういう意味では現代人のようでもありますね。しかしだからと言って彼に精神性の深い部分が無いということではないのです。例えばブラームスは多くの作品が素晴らしいので偉大な作曲家とみなされます。一方リストは底の浅い作品もいくつかあり、そして偉大な傑作も残しています。底の浅い作品があるからリストはそれほど偉大な作曲家ではないと言う人もいますが、私はそうは思いません」とアンスネスは語っています。僕が思うにこの意見はとても真っ当であり、フェアな見方だと思います。アンスネスがリストを誤解無く捉えてくれているのは嬉しいです。彼は最近あまりリストを演奏していないようですが、これからも期待したいです。
関連記事: liszt piano recital: leif ove andsnes
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February 02, 2013
世界の偉大なるピアノ音楽 第90巻
ベーラ・バルトーク
※リンク先はアメリカのアマゾン(Amazon.com)です
ピアノソナタ Sz.80*
組曲 Op.14"
アレグロ・バルバロ Sz.49"
3つのブルレスケ Op.8c*
民謡による3つのロンド Sz.84*
3つのハンガリー民謡 Sz.66*
ルーマニア民俗舞曲 Sz.56*
2つのルーマニア舞曲 Op.8a*
ハンガリー農民の歌*
*リューボフ・チモフェーエワ
"グリゴリー・ギンズブルグ(アントン・ギンズブルグ)
Melodiya DE 0210
〔メモ〕
派手さはないが堅実でオーソドックスなチモフェーエワ。もう一人の方はG.Ginsburgとクレジットされていますが、おそらくグリゴリー・ギンズブルグではなく、アントン・ギンズブルグの演奏だと思います。(僕が知る限り)グリゴリーはこれらの曲を録音していませんし、アントンはこれらの曲をメロディアに録音しています。
フランツ・リスト→ハンス・フォン・ビューロー→カール・H・バルト→ゲンリヒ・ネイガウス→ヤコフ・ザーク→リューボフ・チモフェーエワ
フランツ・リスト→アレクサンドル・ジロティ→アレクサンドル・ゴリデンヴェイゼル→グリゴリー・ギンズブルグ
(フランツ・リスト→ハンス・フォン・ビューロー→カール・H・バルト→ゲンリヒ・ネイガウス→アントン・ギンズブルグ)
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April 02, 2012
バルトークは語る -リストの先進性-
"音楽の発展への貢献ということであれば、リストはワーグナーより重要視されるべきである"
"ここでリストの後世への影響について述べさせていただく。リヒャルト・シュトラウス初期の比較的無味乾燥とも言える作品群は表面的にブラームスをほのめかすものがあるが、ブラームスの楽想に溢れた音楽には遠く及ばない。そしてワーグナーの音楽に触れることにより、彼の音楽は劇的な変化を迎えた。いや、それは何もかもリストの影響下での話である。シュトラウスは突然、交響詩を書き始めたのだ。そして例えば巡礼の年や詩的で宗教的な調べのような作品と、新たなフランス音楽芸術を象徴するドビュッシーとラヴェルの素晴らしい作品群に驚くべき共通点が見うけられよう。エステ荘の噴水やその他の作品なくして、この似通った大気を創造する2人のフランスの作曲家は存在しえなかったのだと私は確信している。そしてどれ程多くのハンガリーの作曲家の作品からリストから受け継いだものを感じ取れようか!"
後半は「Liszt Problémák」(リストに関する諸問題)という論文からの抜粋です。バルトークがリストの事を正しく評価できたのは二人の影響があると思います。その二人とはリスト賛美者でありバルトークの友人であったブゾーニと、ピアニストとしてリストの弟子でバルトークの師であったイシュトヴァーン・トマーンのことです。バルトークはリストに関する講演をことあるごとに開いたり、演奏会でもリスト作品を多く取り上げていました。当時誤解されがちだったリスト受容に最も大きな影響を与えた人物のひとりと言っていいでしょう。
関連記事: シェーンベルク 「フランツ・リスト その活動と本質」
関連記事: ラヴェルは語る -リスト作品の欠陥-
関連記事: ブゾーニは語る -リストという木-
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December 13, 2011
Dohnányi, Bartók, A.Fischer, Kentner, Cziffra play Liszt
エルンスト・フォン・ドホナーニ
ベーラ・バルトーク
アニー・フィッシャー
ルイス・ケントナー
ジョルジュ・シフラ
Dohnányi, Bartók, A.Fischer, Kentner, Cziffra play Liszt
1. コンソレーション 第3番 S.172/3 <56>*
2. スルスム・コルダ S.163/7 <36>"
3. ピアノソナタ S.178 <53>#
4. 森のざわめき S.145/1 <66>$
5. 小人の踊り S.145/2 <66>$
6. ラ・カンパネラ S.141/3 <66>$
7. 半音階的大ギャロップ S.219 <55>!
8. エステ荘の噴水 S.163/4 <55>!
9. ハンガリー狂詩曲 第6番 S.244/6 <56>!
10. 忘れられたワルツ 第1番 S.215/1 <55>!
11. ハンガリー狂詩曲 第15番 - ラーコーツィ行進曲 S.244/15 <56>!
*エルンスト・フォン・ドホナーニ
"ベーラ・バルトーク
#アニー・フィッシャー
$ルイス・ケントナー
!ジョルジュ・シフラ
HUNGAROTON CLASSIC HCD 32704
〔メモ〕
ハンガリーを代表するレーベルといってもよいフンガロトンがフランツ・リスト生誕200年を記念するかのように発売したディスクです。ハンガリー・リスト楽派を俯瞰するようなコンピレーションです。
・エルンスト・フォン・ドホナーニ (ハンガリー名:エルネー・ドホナーニ)
ダルベール、トマーンの弟子であるドホナーニは、彼がコンサートピアニストとして活躍していた当時「現代最高のピアニスト」という評価を得ました。トマーンは「私が最も誇りとしていることのひとつは、偉大な音楽家であるフランツ・リストを我が師としていたことである。そしてそれと同等に誇りとしていることとして、偉大な音楽家ドホナーニを我が弟子としていたことがある」と語っています。
フランツ・リスト→イシュトヴァーン・トマーン→エルンスト・フォン・ドホナーニ
フランツ・リスト→オイゲン・ダルベール→エルンスト・フォン・ドホナーニ
・ベーラ・バルトーク
イシュトヴァーン・トマーンの弟子であるバルトークは「第2のドホナーニ」という評価を得ていたこともあります。リストに関する講義を行ったり、コンサートで多くのリスト作品を取り上げたバルトークは、(ブゾーニとともに)20世紀のリスト再評価の立役者です。デヴィッド・デュバルによるとスルスム・コルダはバルトークお気に入りの曲とのこと。
フランツ・リスト→イシュトヴァーン・トマーン→ベーラ・バルトーク
・アニー・フィッシャー
ドホナーニとアルノルド・セーケイの弟子のアニー・フィッシャーは、ドホナーニが組織したブダペストの第1回リストコンクールの覇者です。ドホナーニやバルトークの次の世代のハンガリーピアニストを代表するひとりです。ここでのロ短調ソナタはベートーヴェン作品のように響きます。
フランツ・リスト→イシュトヴァーン・トマーン→エルンスト・フォン・ドホナーニ→アニー・フィッシャー
フランツ・リスト→イシュトヴァーン・トマーン→アルノルド・セーケイ→アニー・フィッシャー
・ルイス・ケントナー (ハンガリー名:ラヨシュ・ケントネル)
アルノルド・セーケイの弟子で、バルトークとリスト作品のスペシャリストで、イギリス・リスト協会の会長だったケントナーです。アニー・フィッシャーが優勝したリストコンクールで第3位に入賞しています。ちなみに彼の最初の妻であるイロナ・カボシュもハンガリー・リスト楽派の重要人物です。彼女はピーター・フランクル、ハワード・シェリー、ジョン・オグドン、クン・ウー・パイクなどを教えたこともあります。
フランツ・リスト→イシュトヴァーン・トマーン→アルノルド・セーケイ→ルイス・ケントナー
・ジョルジュ・シフラ (ハンガリー名:ジェルジ・シフラ)
ドホナーニやジェルジ・フェレンチの弟子シフラです。「リストの再来」と言われたこともあります(ただし「リストの再来」という謳い文句は頻繁に使われる。例:リヒテル、ミケランジェリ、ホロヴィッツ、ベルマンなど)。シフラについてはいまさら説明は必要ないでしょう。
フランツ・リスト→イシュトヴァーン・トマーン→エルンスト・フォン・ドホナーニ→ジョルジュ・シフラ
フランツ・リスト→イシュトヴァーン・トマーン→ジェルジ・フェレンチ→ジョルジュ・シフラ
・イシュトヴァーン・トマーン
録音はありませんが、このディスクの影の主役はトマーンです。ロシアにリストのピアニズムを伝播したのはジロティです。いわばジロティはロシアにおける「リストのピアニズムの伝道者」だったわけですが、ハンガリーにおけるその役目を果たしたのはトマーンに他なりません。
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December 08, 2010
Géza Anda
Géza Anda
1.-8. ピアノソナタ S.178
9. メフィストワルツ 第1番 S.514
10. ため息 S.144/3
11. ラ・カンパネラ (パガニーニ=リスト)〔ブゾーニ編〕
12.-14. ソナチネ Sz55 (バルトーク)
18. コッぺリア・ワルツ (ドリーブ=ドホナーニ)
Testament SBT 1067
Recorded: 1954
〔メモ〕
ブダペストのフランツ・リスト・アカデミーでドホナーニに2年間師事した経歴を持つアンダのリスト集です。1953年から始まった英コロンビアへの一連の録音を、アンダ夫人の協力のもとテスタメントレーベルが復刻した8枚のCDの内のひとつになります。
「アンダは詩的なピアニストというだけでなく、ロマンティックヴィルトゥオーゾでもあった」と言われてますが、技巧派ピアニストであったことは間違いないでしょう。しかしここでのアンダの演奏は感情に任せて技巧を爆発させるような演奏とは対極にあり、内省的で洗練されたスタイルを確立しています。はじけるような技巧性と、それでいてやりすぎない洗練性のギリギリでのせめぎ合いがここでのアンダの演奏の魅力と言えるでしょう。
彼の残された録音はどれも素晴らしいものなので、癌による彼の早すぎる死が悔やまれます。
フランツ・リスト→オイゲン・ダルベール→エルンスト・ドホナーニ→ゲザ・アンダ
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January 04, 2006
ハンガリーの音楽
ハンガリーの音楽について少し調べてみました。僕が参照した資料を訳してみると
“バルトークは、「東部および中東ヨーロッパの農民たちによる真の民謡」と「教養ある都市民による芸術音楽」は区別しなければならない、とその議題に関する多くのエッセイの内の一つにて正式に述べている。後者は紳士階級(※)のアマチュアによる産物でありジプシーバンドにより普及された。それらは素材の宝庫あるいは集大成であり、シューベルト、リスト、ブラームスが引用し、「ハンガリーの音楽」と国際的にみなされることとなった。”
※紳士階級というのは貴族の一つ下の階級だそうです。
ひとつわかったことは、僕は何も理解していなかったということです(笑)。